KIMURA PLUS(旧館)

個人の感想です

いかにして地方へのUターンを1年で諦めて東京に戻ってきたか

子どもが生まれたことをきっかけに、2014年の秋に首都圏から生まれ故郷の山形県へ移住した。 そして2015年の冬に東京に引っ越してきた。わずか1年と少々で首都圏に戻ってきたことになる。

つまりは、Uターンに、失敗した。

その反省と、これからUターンあるいはIターンを考えている方が自分と同じ轍を踏まないようにとの意味を込めて、ここに記録を残したいと思う。

どうしてUターンを決意したのか

都内のシステムインテグレーターに新卒で入社し、情報システムの保守の仕事をしてきた。5年ほど勤めるうちにそれなりの大きさのシステムをいくつか担当させてもらい、背伸びをしなければ生活には困らないぐらいの給料ももらっていた。

仕事は楽ではなかったけど嫌いではなかった。やりがいも意義も感じていた。だけど、同時に、もっと自分にはできることがあるのではないかと思っていた。特に、東日本大震災後に東北の地で出会った団体の方々や地元の経営者の方々に刺激を受けてからは、東京から離れ、地方に戻って自分の手で自分の身の丈にあった範囲でできる、「ナリワイ」のような仕事をしたいと思っていた。

そんなおり、子どもができた。自分は男性不妊症の可能性が高いと医師から言われていて、治療をせずに子どもができるとは思わなかったけど、できた。嬉しかった。

以前から妻とは子どもは都会よりも田舎で育てたいと話をしていた。二人とも地方出身者で、都会で子どもを育てることがイメージできなかったし、自分たちの親のそばで子どもを育てたほうが育児もやりやすいだろうと思っていた。しかもタイミングよく自分の故郷の山形で仕事にもありつけそうだった。まずは会社員をしながら、少しずつナリワイをつくっていこう。そうしてUターンすることを決意した。

そうしてお金がなくなっていった

山形で生活をし、1ヶ月がたち、2ヶ月がたち、あることに気がついた。思った以上のスピードで貯金が減っていっている。これはまずい。夫婦で買い物や銀行通帳の記録を洗い出し、きちんと家計簿をつけてみた。すると10万円近く赤字だった。今思うと本当に愚の極みで、おおよそまともな社会人とは思えない行動だったのだけど、移住するにあたってきちんと生活費の算出をしていなかった。

山形は寒い。その分、光熱費が高くなる。確かに家賃は前よりも減ったけど、減った分をちょうど埋めるように車のローンや維持費がかかる。根拠もなく安くなるかなと思っていた生活費は山形のほうが逆に高くついた。なのに給料は東京のときよりも安い。これではお金がなくなっていくのも当然だった。

妻が働き出すまで、当面は赤字になることは織り込み済みだった。だけど、貯金がただただ減っていくストレスと、それも予想を超えるスピードで減っていくというのは織り込んでなかった。

おまけに仕事が合わなかった

山形で就いた仕事は、事務の仕事だった。正確には事務ではないかもしれないけど、ほかに何といっていいのかわからない。大量の、単調・単純な事務処理を行う、忍耐力と集中力がものをいう仕事だった。残業は原則的にない。工場のような感じだ。ここまで書くとカンのいい人はわかるかもしれないけど、山形で入った会社は障害を持った人が多く勤めるいわゆる「特例子会社」だった。自分は感音性の聴覚障害を持っている。入った理由はいろいろとあったけど、障害をもっていても働きやすいだろうと考えたことが大きかった。

しかし、仕事が合わなかった。朝から晩まで右と左の数字を見比べるような仕事には疑問を抱いてしまっていたし、そもそもそういう仕事は自分はかなり苦手だった。熟練すればなんとかなるかなと思ったけど、苦手なものな苦手なままだった。苦手だからといっても、それ以外の仕事は自分には許されない。おまけに人間関係にも悩みだしていた。刑務所ってこんな感じなのかなと思った。うつ病になりかかっていた。とにかくつらかった。

そうして東京に戻ることになった

お金がないなら実家の両親と一緒に暮らす、という選択肢もあった。でも、自立した生活を捨ててまでで、この仕事を続けたいと思わなかった。当初思い描いていたようなナリワイを作ることよりも、この状況を抜け出し、生活を立て直すのが先だった。

生活を立て直せるだけの給料と、自分のスキルを生かせる業務内容、そして障害への理解がある企業が地方ではなかなか見つからなかった。だけど東京にはそれがあった。そうして戻ることした。転職はなかなか苦戦を強いられて、戻ることを決意してから1年近くかかってしまったけど、どうにかこうにか、金融系の企業でシステム部門の職を得ることができた。

Uターンしてよかったこと

Uターンしたことについては、仕事を抜きにすればおおむね良かったと思う。子育てにあたって親が近くにいるというのはかなり心強かったし、子どもも祖父母になついている。妻も仲の良いママ友が何人かできたし、自分も昔からの友人がいてやりやすいし、新しい友人もできた。買い物はしやすいし、温泉は近くにたくさんあるし、果物はおいしい。昔はただのつまらない田舎だと思っていたけど、山形はいいところだ。強がりではなく、本当に、心の底から、昔よりもこの土地が好きになっていた。そういう気持ちになれたことは、悪くない経験だったと思う。

まとめ

長々と書いたけど、反省点をまとめると以下の3つになる。

  • お金はすごく大事。生活が維持できる算段がなければUターンしてはいけない。

  • 地方のほうが生活費がかからないというは幻想。

  • 合わない仕事はつらい。

当たり前のことすぎてつらい。

これからについて

自分自身は失敗したけども、地方にUターンしようとする人や、ナリワイを仕事にしようという人は積極的に応援していきたいと思う。あとは、子供に祖父母が近くにいないということで寂しい思いをさせないようにしたいなと思う。

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